100年の孤独

I only sleep with people I love, which is why I have insomnia

お詫びと訂正


僕がNMEで日本のアンダーグラウンド・シーンを紹介するこの連載を初めてかれこれ3年になるが、先月号の記事には過去最多の抗議が寄せられた。もともと今月はKGY40Jr. のイギリス初ライブ「ロンドンで鎌ヶ谷」のレポートを掲載するつもりだったのだが、予定を変更して先月の記事の訂正をさせて欲しい。

問題となったのは先月の記事の中でもナグリアイのライブ映像についての解説だ。沢山の(「偏執的」と言ってさしつかえない量の)抗議のメールを受け、四方に手を尽くして事実確認を行ったところ、ナグリアイが2018年に行った精神病院でのライブにて、客席からステージに上がってマイクを奪ったのは、会場である病院の患者ではなかったということが分かった。事実の認識に間違いがあったこと、それを紙面に掲載してしまった件について謹んで謝罪したい。

ではあの「頭のおかしい人」は誰だったのか?それは多くの人が指摘したように、やはりナグリアイの初期メンバー「いくのん」その人だった。ライターが自分の無知をさらすのは躊躇されることだが、今回に限り告白しよう。僕はいくのん在籍時の「ナグリアイ」を見たことが無い新参で、いくのんの顔も知らず、今回の件で初めて本格的にいくのんを調べた。僕はこの1週間、ロンドン在住のマニアはもちろん日本のレジェンダリーなヲタにもコンタクトを取って当時の現場の様子を聞き、いくのん在籍時のナグリアイのライブ映像を貪るように見続けた。

いくのんは「ナグリアイ」の最初期のメンバーだ。その影響力、存在感は脱退後も大きく、マニアの間で「サグリアイ」「真サグリアイ(マサグリアイ)」と俗に呼ばれている3〜4期に感じる物足りなさは、正に「いくのん的ポジションの不在」によるものだと言われている。しかしそれも無理は無い。「いくのん的ポジション」の補充が容易ではないことは、古参全員が知っていた。いくのんにはカリスマがあった。誰もいくのんを無視することはできない。いくのんに対して我々凡人が取れる反応は「強烈に畏れる」と「強烈に魅かれる」の二者択一だ。
 
「完璧なんか良くない!完璧を目指すのはよせ!それよりも進化しよう!」
「職業がなんだ?財産なんて関係無い。車も関係ない。財布の中身もそのクソッタレなブランドも関係無い。お前らは歌って踊るだけのこの世のクズだ!」
「ワークアウトは自慰行為だ!それよりも自己破壊を!」
 
いくのんのパフォーマンスとアジテーションは文学であり麻薬であり、つまり「伝達可能な狂喜」であるという点でまさにそれは芸術だった。僕は先月号の記事でこう書いた。

『本当に頭のおかしい人たちの中でパフォーマンスするナグリアイのメンバーの表情からは、自分達を取り囲む頭のおかしい人たちに同化しようとしながら、しきれない、しかし、しきれないからこそ際立つ異常性、そういものが見て取れた』

間違った事実認識の上で書いた記事をこう言っていいものか躊躇われるが、この分析は「本当に頭のおかしい人」がいくのんその人であるということを知らなかったからこそ書けたある側面での真実であると思う。「ナグリアイ」になりきれない「ナグリアイ」の前に本物の「ナグリアイ」が現れ、一瞬で会場が熱狂に包まれる。あこがれた、なりたかった「本当に頭のおかしい人」を前にして、たじろぐ、怯える、そして強烈に引き付けられる「ナグリアイ」のメンバーたち。あの映像に記録されていたのはそういうものだったのだ。今、改めてそのシーンを見返しているが、僕の認識は変わらない。