100年の孤独

I only sleep with people I love, which is why I have insomnia

Closing Ward 4


ある日、二人目のゆかちゃんが入ってきた。わたしたちは区別するために「樫野さん」と苗字で呼んだ。本物のゆかちゃんはただのゆかちゃん。
二人のゆかちゃんは友達になった。わたしと綾香ちゃんと二人のゆかちゃんは、よく看護婦詰め所の前の床に座ってタバコを吸っていた。みんなその場所が好きだった。そこなら看護婦たちの様子を見ていられるから。綾香ちゃんと一緒にいるグループだけが、その場所を自分たちのものにできた。

「5分おきチェックじゃ無理よ」と綾香ちゃん。
「あら、やれたわよ」と樫野さん。
「まさかあ」本物のゆかちゃんが言う。「できるはずないじゃない」
「プロのゆかちゃんが言うんだから、やっぱり無理よ」綾香ちゃんが言う。
「15分チェックだった」樫野さんが訂正した。
「15分なら、できたかもね」ゆかちゃんが応じた。
「15分なら、できるわね」わたしも同意した。
「でも、樫野さんの彼って30代でしょ?」と綾香ちゃん。
「30でも、彼は若いの。15分でちょうどよ」

わたしたちは、たくさんおしゃべりした。二人のゆかちゃんは大声で悪口を言い合ったり、二人でその日の予定を決めたりして、わたしと綾香ちゃんはそのときどきでジャッジやアドバイスを求められたりした。

「日が沈んだらテラスに行かない?」樫野さんが大声で言う。
病棟から出られないゆかちゃんは、しかたがないからこんな風に叫ぶ。「なんであんな精神病患者だらけのところに行きたいのよ」
すると樫野さんが怒鳴り返す。「そういうあんたは何なのよ」
「ソシオパス(反社会性人格障害者)だよ!」ゆかちゃんは得意そうに答える。「この病気はすごく珍しいの」「それに、たいていは男がかかるんだから」
樫野さんはまだ病名が決まっていなかった。

樫野さんが入院してから一ヶ月が経って正式に病名が決まった。反社会性人格障害だった。樫野さんは幸せの絶頂だった。彼女は何もかもゆかちゃんと同じになりたかったから。でも、ゆかちゃんの方は幸せじゃなかった。それまでは自分だけがソシオパスだったから。
樫野さんの病名が決まってから、ゆかちゃんたちの問題行動が多くなった。「行動化ね」看護婦たちはそう呼んだ。
何でも知っている綾香ちゃんに聞いてみた。すると、本物のゆかちゃんは樫野さんがソシオパスじゃないことを証明しようとしているんだと教えてくれた。

月曜日、ゆかちゃんは飲んだ振りをして貯めていた睡眠薬を一週間分まとめて飲んで、それから一昼夜朦朧としていた。樫野さんは四日分しか貯められず、飲んだらゲーゲー吐いた。
金曜日、ゆかちゃんは週末の付き添いつき外出許可が下りないことに抗議して、婦長をにらみつけながら自分の腕にタバコを押し付けて消した。その日の午後、樫野さんは手首にちっちゃな火傷をつけ、20分水を流しっぱなしにして冷やした。
週末には不幸の見本市みたいな身の上話合戦が始まった。樫野さんが三軒茶屋に住んでいたことを知ったゆかちゃんは、そんなところで社会病質者が育つものかというようなことを言い、樫野さんは泣いてしまった。
アンフェタミン、ナルコティク、ケミカル、ヘンプ。ゆかちゃんはみんなやったことがあった。樫野さんは、わたしだって麻薬中毒者だと言って、袖を捲り上げて跡を見せた。何年も前に一度バラの茂みで引っ掛けたようなかすかな跡があった。ゆかちゃんは「山の手のお麻薬中毒者」と言って笑った。「文句あるの」と樫野さんが詰め寄ると、ゆかちゃんは袖を捲り上げた。彼女の腕は色あせた茶色の瘤だらけだった。後で綾香ちゃんに聞くと、ゆかちゃんは仕事でするセックスと彼氏とするセックスを分けるために、彼氏とするときには粘膜に薬を溶かし、注射を打っていたのだそうだ。

その二日後、二人が居なくなった。テラスと病棟の間のどこかで消えたのだった。綾香ちゃんが彩乃ちゃんと何か相談していた。わたしはなんとなく、今二人に近づいてはいけないような気がして、遠くでそれを見ていた。その日の夜に、ゆかちゃんが捕まった。どこからどう抜け出したのか婦長が問いただすと、ゆかちゃんは「わたしの腕は長くて細いからね」と言って笑って見せた。その後一週間捜索が続いたが、ついに樫野さんは見つからなかった。
「ここには向かなかったのよ」ゆかちゃんが言った。みんなは嫉妬しているんじゃないかとささやいたけど、綾香ちゃんは「そんな声じゃなかったわ」と言った。

何ヶ月かして、産婦人科病院につれられていく途中で、ゆかちゃんがまた逃げ出した。連れ戻されたときのゆかちゃんは、とりわけご満悦の様子だった。「樫野さんに会ったわよ」彩乃ちゃんとわたしは驚いて聞き返した。綾香ちゃんはうつむいて首を振った。「あの子、本物の麻薬中毒者になってたわ」ゆかちゃんはにっこりとほほ笑んだ。