100年の孤独

I only sleep with people I love, which is why I have insomnia

怪談

「呪われてしまった」
小学校4年になる娘の彩乃が酷く悲壮な面持ちで私にそう告白してきた。学校で怖い話を聞いたのだそうだ。いわく、夜寝ていると足のない女性の幽霊「カシノさん」が現れ「足いる?」と聞いてくる。この時「いらない」と答えると、足をもぎ取られてしまい助かるには「カシノさん」と3回唱えるのだという。そしてこの話を聞くと3日以内にカシノさんが出るので、くれぐれもこの助かる方法を忘れないように...。ということらしい。

この話を聞いて私が思い出したのは、まだ彩乃が幼稚園に通っていた頃に見ていた不思議な夢の話だった。その頃、彩乃は夜中に突然起きて寝ぼけたまましばらくひとり言を言い出すということがあった。 一度だけなら気にもしないのだが、それが何日か続いたのである日聞いてみた。
「毎晩、なんで起きちゃうの?」
「ニシワキが来てくれるから」
ニシワキってなんだろうと思い聞いてみると、友達のことらしい。 昔から彩乃は空想が好きな子供だったし、思い起こせば父である自分も子供時代には想像上の友達を作って遊んでいたような記憶がおぼろげにあるので、懐かしいような気持にこそなれ特に不思議だとは思わなかったが、その頃お絵かきがマイブームだった彩乃にニシワキの絵を描いて欲しいとお願いした時にそれが一変した。
ゾッとした。画用紙いっぱいに大きな顔があり、その目と口にあたる部分に空いた大きな穴の中はまた無数の小さな顔で埋め尽くされていた。その小さな顔全てが同じ顔でニヤニヤ笑っている。頭髪は肌色で塗られており、よく見るとい先が指のような形に枝分かれしていて無数の細い腕が頭から生えているようにも見えた。驚いて「こんな怖いのがニシワキなの?」 と聞くと、絵とそっくりなニヤニヤ笑いで娘が「こわくないよ、ともだちだもん」と答えた。 その晩、彩乃が高熱を出して寝込んだ。うわごとでしきりに謝っていた。 結局次の日には熱が下がったのだが、話を聞いてみると、ニシワキが怒っていたのだそうだ。 絵に書いたこと、存在をしゃべったこと、楽しいところに連れていこうとしてたこと、自分に存在を教えたことでそれができなくなったこと。それ以来彩乃が夜中起きることはなくなった。

私が彩乃に、幼稚園のころよく夢に見ていたニシワキの事は覚えているかと尋ねると、眉をしかめて「何それ?」と怪訝な表情で答えが返ってきた。結局それから3日間、彩乃は戦々恐々と過ごしていたが、ついに夢にカシノさんが現れないまま4日目の朝を迎えてからはすっかりそんなことも忘れたようだった。
彩乃を学校に送り出してから私は床に就く。4年前、彩乃が熱を出したその日から、私は毎晩ニシワキの夢を見るようになった。半分ノイローゼのようになっていた私が、日の出ているうちに寝ると夢を見ないということを発見したのは夢を見始めて3週間ほどたってからである。それから4年間、私は昼夜逆転の生活をしている。
遮光カーテンを閉め枕に顔をうずめる。今日もまたカシノさんに会うのかと思うと憂鬱になるが、寝ないでいるには限りがある。限界まで寝ないで過ごして、もし夜に寝てしまったらどうなるのだろう。逃げ続けてきた禍々しい妄想が4年分まとめて襲いかかってくるのではないか。自分はそれに耐えられるのだろうか。耐えられるはずはない。諦めとともにベッドの中で小さく震える。両手で膝を抱え、絶望を小出しにして命をつなぐこの哀れな体をぎゅっと抱きしめ、瞼の裏を凝視する。暗闇は外部情報を遮断し、内部情報を増幅する。鼻孔を満たす布団の臭い、不随意筋の動き、胃の中の咀嚼物、血流、呼吸、あらがえない眠気。