100年の孤独

I only sleep with people I love, which is why I have insomnia

終わりし道の標に


夏風邪を引いた。頭が重く、眼球が熱く、全身が気怠く、扁桃腺が腫れて喉が痛い。鏡に向かって口をあーんと開いて確認すると、見事に喉が腫れている。赤黒く腫れたそれは「野村幸代の膣壁のような」という修辞がしっくりくる。正に歴戦のツワモノといった風格で、鏡を見ながら笑ってしまった。体調も悪いし早く寝なくてはいけないのに、ノートPCをベッドに持ち込んでこんな駄文を書いている。バッテリーの残りももう僅かだ。電源が落ちるまでに、このブログを書き終えようと思う。時間制限付きというのはどんなときでも面白いもので、最大値はもちろん寿命なんだが。短いようで、案外長い。

イヤフォンを新調した。Bluetooth接続で、夜中だって爆音で音楽を聴きながら、ヘイヘイ! と踊りまくれる。気の重いことばかり降り積もる日々だが、そんなもの踊ってさえいれば、みなどこかへ振り落とされてしまう。俺ほど運動神経のない人間もそうは居ないので、まるで壊れたロボットのような動きだが、それでも本人が楽しいのだから問題ない。

イヤフォンから聴こえてくるのは70年前の音楽だ。ただでさえ超絶技巧の黒人が、薬物で時間感覚を低速化させて最早笑うしかないようなスピードで演奏している。
笑いながら、踊りながら、俺は考える。良い音楽、悪い音楽の違いがどこにあるのか。大抵そういうことはセンスという便利な言葉で片付けてしまいがちだが、実際問題そうとしか言えない領域がある。すべてが理論で説明できて欲しいという欲望と、やはりそこにブラックボックスがあって欲しいという欲望の間で、俺は笑い、踊る。センスを嗅覚という言葉に言い換えてもいい。いつからだろうか、無駄とも言える膨大な文化に耽溺する暮らしを続けている。音楽を聴いて、映画を見て、小説を読んで、批評に耳を傾ける。そういう生活をしている奴は、多かれ少なかれ匂いに敏感になっている。だけれども、多分それはあまり幸福なことではない。匂いに敏感になればなるほどこの世界は生き辛くなる側面がある。何より不幸なのは、一番の悪臭を放っているのが自分自身だという現実に気づかざるを得なくなるからだ。などと言うと、そういう生き辛いのはお止めよと、見えない誰かに突っ込まれる。確かにそうだ。体調が悪いときにあれこれ考えるのは良くない。どうせ時間は寿命のぶんだけ残されているのだ。後日談のように虚ろに過ぎていく日々も、短いようで案外長い。実はこのPCも、とっくに電源につなげてしまっている。