100年の孤独

I only sleep with people I love, which is why I have insomnia

日記的な何か、もしくはStereoTokyoについての短文


会社帰り終電の東京駅9番ホーム、東海道線の到着を待ちながら雑な手つきでカバンからイヤフォンを取り出して音楽を流す。
嗜好品のように楽しむためではなく、それはまるで麻酔を打つかのように、音楽を鎮痛剤の代用品として消費している自分に気づくと同時に、10年前の東京アンダーグラウンドのトレンドがケタミンだった事を思い出す。今はもう潰れてしまった恵比寿のクラブ、爆音が鳴り響く暗がりで、高揚でもチルアウトでもなく「無感覚」を貪るあの日の若者の顔を、俺はもう覚えていない。そう言えばケタミンでトリップした先の世界を「Kホール」と呼ぶが、神田に同名の地下アイドルご用達ライブハウスがある。Stereo Tokyoはあそこではやってないな。なんてことを考えながらプレイリストも確認せずに流した曲は chelmicoのラビリンス'97。

つまり Party is over 帰り道

俺は歌い出しの1小節で音楽を止めた。
もう大分前から知っていた事だ。怒るのも、悲しむのも、なんだか今の自分の感情にジャストではフィットしない。元来あまり感傷的になるのは趣味じゃないんだ。こんな心持ちになってこういう事を言い始めるのも随分と久しい。珍しいので記念にアイフォンのメモ帳でこのテキストを書いている。貧乏性なのだ。俺はStereo Tokyoが好きだった。そして(困ったことに)今でもその気持ちは風化せずに残っている。Stereo Tokyoのパーティーは唯一無二だった。あんな幸せな空間は、他にはない。亡くなった子供の弔いをするように、忘れないうちにStereo Tokyoのどこがどう好きだったかを何回かに分けて書いておこうと思う。


スターウォーズが何故面白いかという問いに対して「物語序盤の退屈な説明パートを全部冒頭の字幕で端折って、盛り上がりどころだけをつなぎ合わせてるから面白いのだ」という分析をしている人がいて「なるほどな」と思った事があるが、去年ステトーTOことクガミと話していて「クラブミュージックはアップダウンがあるので、そこの盛り上がる所だけを切り取って短縮してるのがステレオだと思う」という分析を聞いてStereo Tokyoスターウォーズの類似性に思い至ったんだが、このネタ、いつかライブレポ中の小ネタで使おうと取って置いたままステレオが終わってしまった。本当はこのネタ「ステレオとスターウォーズ、どっちが好きバーグ?」で締めようとしてたんだけど、よく考えたらスターウォーズってスピルバーグじゃなくてジョージ・ルーカスじゃん。締まらないね。家についちゃったからおしまい。オチなんてないよ。明日も何か書く。