100年の孤独

I only sleep with people I love, which is why I have insomnia

Stereo Tokyo の解散について思う一つか二つの事


大人ってつくづく泣かないものなのだなぁと思う。

4月に下の兄に第一子となる娘、俺にとっては姪が産まれた。当たり前な話だが赤ん坊は良く泣く。事あるごとに泣く。子どもは何歳くらいまで泣くのだろうか。人間として大人と子どものどこが違うかというと「泣くか泣かないか」というのは結構大きい要素なのではないか。

赤ん坊の潔い泣きっぷりを見ていて、逆説的に大人の泣かなさ加減に感心するようになった。何か辛いことがあって「うっ」と思う。しかし俺は泣いてはいないのだ。それにハっとなる。大人が泣くというのはどういう時なのだろうか。

今だから言うが、一度だけ彩花ちゃんに泣かれたことがある。渋谷のglad、ライブ後の接触でだ。
その頃はBiSが再始動した直後でStereo Tokyoの今後に不安要素が次々と立ちはだかり始めていた。このライブの数日前にあったトークイベントでは水江がメンバーに対して「仕事には優先順位がある。事務所内での優先順位が低いとステレオが活動を続けられなくなる」というような発言をしていて、聞いていて不愉快を通り越して怒りを覚えたのを記憶している。

いつでもヲタクがバカ全開でいれるよう、ステージ裏の事情をフロアの人間が察さないでいいように、笑顔で、時に誘うようないたずらな表情でヲタクに接していた椎名彩花が、あの日、助けを求めるように震える声で俺の名前を呼んだ。

あの時、彩花ちゃんは俺に自分の弱い部分を隠さないでいてくれたが、どうしようもなくバカな俺はただただ慌てるばかりで、彩花ちゃんの不安を上手く受け止められずにおざなりな慰めと励ましで十分に話を聞いてやる事すらしなかった。溢れ出した感情を、汲み取るそぶりすらしなかった。信頼に応えることが出来なかった。なんであんな対応をしたのか、正直なところ自分でも良くわからない。これが俺の、Stereo Tokyoと過ごした狂騒の日々で唯一の、そして最大の後悔だ。

あの日の彩花ちゃんは、自分たちの力の至らなさが原因でパーティーが終わってしまう事に対して、どうしたらいいか分からず泣いていたのだと思う。パーティーが終わってしまった今言うのもはなはだ遅すぎるんだが、この件についてメンバーは絶対に悪くない。俺はメンバーの力至らず活動が終了したという風にStereo Tokyoが歴史に残る事が許せない。そしてStereo Tokyoの解散が「残念だけど仕方がない事」にされる事が許せない。

なので、ぐだぐだと恨み節を連ねるのがみっともない事だというのは重々分かっていつつも、聞き分けの良さと言う名の諦念に身を任せてるよりは醜態を晒しながらでも「現場からの一個人の認識」を残す方を選択しようと思う。

残酷ではあるが、Stereo Tokyoは芸能と言う競争世界での勝者にはならなかった。それは事実だろう。しかしそれが解散の理由の全てではない。Stereo Tokyoの解散のより直接的な理由は、周りの大人達の怠慢であり、不誠実の結果だ。全てではなくとも、無視できないくらい大きな割合をそれが占めているという事は断言できる。メンバーは周りの大人達の怠慢と不誠実の犠牲になったのだ。

「事務所内での優先順位が低いとステレオが活動を続けられなくなる。だから事務所内での自分たちの優先順位を上げなくてはいけない」細かい表現までは覚えていないが、水江がメンバーStereo Tokyoが事務所内での優先順位が下である事を突き付けて自分たちでそれを打開していく事を求めたという点は間違いない。とても醜悪な発言だ。

事務所内での優先度を上げるための打開策をプロデュースする人間、マネージメントする人間が放棄して、それを純粋にパフォーマーであるアイドル自身に丸投げするのが正しいとは到底思えない。アイドルがパフォーマンスの向上に注力できるように社内政治的な側面まで含めて環境を整えるのがプロデュースする人間、マネージメントする人間の仕事だ。自分の至らなさを棚に上げて事もあろうかアイドル自身に責任転嫁するなんて事が許されてたまるか。

この言の卑怯なところはアイドルの習性をうまく利用して大人が子供に責任を転嫁している所にある。何をするかを自分が決める割合の高い自作自演系のミュージシャンと違い、大前提として誰かのプロデュースを受けて成立するアイドルは「コンポーザーの提示したパフォーマンスをいかに高いレベルで実現するか」こそが正義であり、それが故に「舵取りをする人間の意図を如何に正確に解釈するか」という習性が見についている傾向が強い。つまり他のミュージシャンと比べて極めて従順で受け身な姿勢が構造上染みついている。これを利用してあたかもメンバーの至らなさがこの結果を招いたかのように当事者に思い込ませるなんて事は到底まともな大人のする事ではない。

念のために言っておくが、俺はStereo Tokyoが解散することについて怒っているのではない。それはこの上なく悲しい事だが、Stereo Tokyoが解散しなくてすむような今とは全く別の形のグループだったとしたら、それが俺にとって大切なStereo Tokyoだとは限らないだろう。俺が好きなはStereo TokyoはこのStereo Tokyoなのだ。だからこのStereo Tokyoを作った水江には感謝している。だから普通に「楽しかったし、面白かったけど、ダメだったわ」で終われなかったのか。なんで「おまえらが何とかしないともうダメんなるよ?」みたいな終わり方になったのか。それが許せないのだ。

勿論この全ては詳しく実情を知る人間が見れば「何も知らないくせに好き勝手言いやがって」と思われる意見かもしれない。だが、状況を、経緯を、結論を説明すべき側がその責任を果たさない以上、俺たちは断片的な情報をつぎはぎして全体を探るしかないのだ。願わくば全ての不幸が単なる誤解であることを、そして椎名彩花が、岸森ちはなが、三浦菜々子が、西園寺未彩が、河村ゆりなが幸せな日々を過ごすことを、ついでに水江が気持ち悪い皮膚病になって酷いかゆみで眠れない夜を過ごすことを期待して、この妄言を終えたい。