100年の孤独

I only sleep with people I love, which is why I have insomnia

こんばんは。椎名彩花です。


いつの頃からか「死にたい」と言うのが口癖になってしまって、お風呂上がりに「死にたい」電気を消して「死にたい」電車の中で「死にたい」、と、ひどい具合だった。 
私がまだアイドルだった頃のある春、あまり会ったことはなかったけれど伯母が交通事故で亡くなって、その葬儀の厳粛さに触れ、私は私の口癖の縁起の悪さに気付いた。しかし一度ついた癖は容易にはなくならず、私の口からするすると「死にたい」は流れ続け、仕方がないので「死にたい」と言ったあとに私は毎度「死にたくない」と付け足すことにした。相殺を試みたのだった。「生きたい」という発想はそのとき浮かばなかった。
 
「死にたい、死にたくない」と口癖にしては妙に長くなってしまったそれは、人前でうっかり言ってしまうとぎょっとされるので、私は気をつけていたけれど、やはりある日電車の中で「死にたい、死にたくない」。その声はごく小さいはずだったけれど、そのとき目の前に立っていた品の良い初老の女性には聞こえてしまったらしく、彼女は咄嗟にこちらを振り向きかかった、が、すぐにやめて前に向きなおった。
 
 ある日、飼っていた亀を見ていて私は亀になりたいと感じ、そう呟いてみた。しかし実際に発語してみて気が付いたが、その寂れた語感はアイドルとしての倫理観によって「亀は…無いかな」と判断を下され、代わりに「猫になりたい」と言い直した。「猫になりたい」という口癖はなかなか可愛いように思えたので、どうにか定着するよう努めたが、それは無駄な努力に終わってしまった。アイドルを辞めて以来、毎日私は亀の甲を撫でながら「死にたい、死にたくない」と呟いた。亀には悪いことをしたと思っている。
 
私の「死にたい」にはなんの苦痛もネガティブな感情もなく、ただただ無感覚に垂れ流しているだけの口癖だけれども、「死にたくない」と続けるときには、無性に情けなくなるのだった。「死にたくない」と言うとき私は何に怯えているのだろう、前言撤回が行使されずに誰かが私を殺しに来るのを恐れるのか、もしくは死にたくないという表明はすべての生の理不尽を無条件に甘受する宣誓であるような気がするからだろうか。私は誓いたくなかった、「死にたい」も「死にたくない」も誰にも約束したくなかった。だって、約束を破るのは、とてもつらいんだもの。