100年の孤独

I only sleep with people I love, which is why I have insomnia

夏休みの宿題

8月も終わりが近づくと、小学生の頃の夏休みの事を思い出す。5年生の夏休み、8月生まれで同じ団地の色川君が、誕生日プレゼントに天体望遠鏡を買ってもらった。俺と色川君は学校は違ったが仲が良く、望遠鏡を自慢したい色川君と夜中に子供だけで出歩く大義名分が欲しかった俺の利害が一致し、親を説得して自由研究として二人で天体観測をすることになった。
その頃俺たちが住んでいたのは千葉と東京の間のベッドタウンで、駅前の繁華街を抜けると住宅街があり、そこからさらに川を超えると町工場が密集する地域があった。天体観測にはネオンの光が邪魔だろうという事で、俺たちは町工場の方で天体観測に適した場所は無いかとあらかじめ昼間に自転車でロケハンを行い、川を越えて20分ほど行った所の高台におあつらい向けの神社を見つけてあった。準備は万全。当日は二人の秘密基地だった陸橋の階段下の金網で囲われたスペース(植え込みがあり、子供が座り込むと通りからは死角になって見えない)で落ち合い、駄菓子とジュース、そして携帯ラジオから流れるBGMに興奮しながら子供だけで深夜に密会しているという非日常を存分に楽しんでから神社に向かった。
夜風は気持ちよく、ペダルをこぐ足取りは軽い。川を超えた所のキツイ坂道は天体望遠鏡を落とさないように用心して自転車を下りて登った。そうやって深夜の街のクルージングの末に高台のふもとに着く。ここから先は階段だ。自転車を止めて懐中電灯を取り出す。一段飛ばしで階段を駆け上り、息を切らせながら境内までたどり着くと、そこは二人呼吸音以外には虫の声が少ししていただけ、天体望遠鏡を設置して懐中電灯の明かりを消すと本当の真っ暗になった。
最初は星座の名前を調べたりしてワイワイとやっていたが、だんだん飽きてきた。低倍率の天体望遠鏡で見えるのはほとんど代わり映えしない恒星ばかりだったからだ。そろそろ帰ろうか、という事になり懐中電灯を探すがどこにあるのか分からない。管理していた色川君が、どこだっけ?と言いながら手探りで探し始めた。すると、どこからか
 
コーン…コーン…
 
という音が響きだした。なんだろう?色川君が泣きそうになりながら必死に探しているのをよそに、俺はその音が気になり音の出どころである神社の隅に行ってみた。神社の鳥居をくぐって左手側の広場で天体観測をしていたんだが、音は右手側の林からしていた。近寄って見ると音の方から明かりが見えた。遠目でもよく分かる、白装束に身を包んだ人間だった。丑の刻参り。俺はそれを知っていた。叫びたい気持ちをおさえ、極力物音を立てないように境内まで戻ろうとしたその瞬間、後ろから
 
「おーい、懐中電灯あったぞー!」
 
と叫びながら色川君が懐中電灯のライトをぐるぐるとこちらに向けながら走ってきた。コーン…コーン…という音が止まった。バレた…終わった…そう悟った。一目散で逃げる俺を見て非常事態を察した色川君だったが、すぐに自転車まで逃げるのではなく「天体望遠鏡!!」と言いながら境内の方に行ってしまった。鳥居を抜け、階段下の駐車場まで逃げた俺は色川君を1分ほど待ったが、色川君は来ない…
戻って色川君の親に言うべきか…自分の親に言うべきか…どうしよう、と思っていると階段の上から明かりが降りてくる。天体望遠鏡を握りしめ泣きながら色川君が降りてきた。その後ろには手に蝋燭を持った白装束の女が一緒だった。闇からぬっと現れたその女は、あたかも夜から生まれたようだった。逃げたい気持ちをおさえ、色川君の名前を呼んだが、泣きじゃくっている色川君から返事はない。徐々に街灯が二人を照らす。良く見ると色川君はあちこちに擦りむいてケガをしていた。
階段を降り切った二人。数歩の距離にあの女がいる。俺は緊張で微塵も身動きが取れなかった。助けるべきなのか、逃げるべきなのか、決断に迷ったわけではない。完全に全ての思考が停止して同時に全ての思考があふれ出しそうになっていた。パニックになって喉から叫び声が漏れる、その直前、女が顔を上げ「ごめんね」と漏らした。よく見ると、女も号泣していた。
 
5分ほどして落ち着いた俺たちに女は話した。丑の刻参りをしていたが俺たちに見つかり失敗した。俺は殺されると思ったが、女は「失敗した」程度であきらめに近い感情があっただけだったらしい。だがそのあと大きな音がして驚いて広場のほうに行くと盛大に転んだ色川君が傷だらけになっていた。泣き叫ぶ色川君を見て、自分のせいだと思ったのであろう女は責任を感じ号泣してしまったらしい。幸い色川君は擦り傷だけで他に大きなけがは無さそうで、傷を清めの水で洗った後は泣くこともなくあっけらかんとしていた。
その後、駐車場にあった自動販売機で女にジュースをおごってもらい、少しだけ話をした。女は市街に住むOLで嫌な上司にいじめられてる、という内容だった。で、その上司を呪うために丑の刻参りをしたらしい。話していると普通の女の人で、自動販売機の明かりで見たその顔はむしろ美人な人だという感想だった。ちなみに白装束だと思っていたのはただの白っぽい服だった。
その後、もし色川君のケガがひどかったら電話して、とメモをもらった。メモには椎名彩花という名前と電話番号。夜8時以降か日曜日しかつながらないけど、と言っていた気がする。帰りがけに「椎名さん、今日は本当にすみませんでした」と言うと、笑いながら「彩花でいいよ」と言っていた。色川君が「彩花ちゃん!」と笑いながら言うと、女は声を出して笑った。帰りは俺が天体望遠鏡を運んだ。何があったかは親には話さなかった。
 
一週間後、色川君の擦り傷はきれいさっぱり治ったので、女に一報入れておこうということになった。綺麗な人だったし、もう一度会えるかな?などと少し期待してた。「多分色川君も同じだろう。なぜか口達者というだけで俺が電話することになった。電話をかける前に「今度から俺も”彩花ちゃん”って呼んでいいですか?」という台詞を声には出さずに数回練習した。

女が出て

「あの時は本当にごめんね」

みたいなことを言ってきたので

「気にしないでください」

と言い、練習した一言を切り出そうと意を決して息を深く吸ったところで、女は心底うれしそうにこう言った。

「そうそう、・・・あの時の呪いね。・・・効いたよ」

俺は上司に何が起きたのかは聞けなかった。結局、それから椎名彩花に連絡はしていない。