100年の孤独

I only sleep with people I love, which is why I have insomnia

こんばんは。椎名彩花です。


「なんだかデートみたい」と私が言うと「・・・デートじゃ、だめだった?」と彼は言った。私は彼と彼の背後にいる(物理的な背後ではなく観念としての背後です)彼女を見た。彼女は私がアイドルだった時からの友人であり、彼は彼女の恋人で、二人が付き合い始めたのはもう三年も前になるだろうか。彼は誰かの幻想のように洗練されていて、彼を見るたび、ファッション誌の広告写真みたいだと私は思った。商品不在のイメージだけのコマーシャル。とっても空虚でとってもクール。
 
「いいですよデートでも」と私は言い、彼の表情を確認する。ものごとの順調な進行を見守りその順調さに満足している人の顔。ベルトコンベアの動きを確認する工場長。試験管の中身を確認する科学者。彼はあきらかに私を見くびっていて、私が彼の思惑どおりに動くことを当然ととらえているように見えた。私の生活に不足しているものを憶測して、それを与えてやれば私がそれをがつがつ食べてしっぽを振って仰向けに寝るだろうと、そう思っているようだった。
 
私はぼんやりと彼を見て「ステキですね。モテるでしょ」と言う。そんなことないと彼はこたえる。こうして自分から一生懸命アピールしないと誰もこっちを見てくれない。大げさな身振り手振りと芝居がかった表情で彼は言う。「一生懸命アピールすればたいていOKですか」と私は訊く。意地悪だねと彼は言っていかにも愉快そうに笑う。愉快なのだろうと私は思う。愉快な工場長。愉快なベルトコンベアとしてのデート。その上に載っている私。このままいくつかのベルトコンベアを経由し、その過程で加工された私は最終的に誰のための何になるんだろう。
 
「ちょっといい気分にさせて、彼女とうまくいってないって言ったら私が簡単に自分のこと好きになると思ってるんですか?」私は架空のベルトコンベアから飛び降りて、架空の工場の架空の電源を落とした。「私のこと別に好きじゃないのにどうして私と浮気したいんですか?彼女に浮気されてそんなに口惜しかったんですか?腹いせは知らない女じゃだめで、彼女の友だちじゃなくちゃいけない、それくらい口惜しかったんですか?かわいそうですね。同情します」イメージトレーニング通りに噛まずにうまく言えた達成感と、怒りと、ほんの少しのうしろろめたさ。自分の顔が紅潮しているのが分かる。彼はさっきよりずっと愉しそうに笑って、なんだ知ってたのかと言った。浮気されたならともかくしたことまで友だちに話すんだね、そういうタイプじゃないと思ってたんだけど。女の子は怖いね。
 
「彼女の新たな一面が見られてよかったですね」と私が言うと、彼はつくづくと私を見て、それから、いいことを教えてあげよう、と言った。僕は浮気された腹いせに同じことをしてやろうと思ったわけじゃない。あのね彩花ちゃん、世の中の浮気の何割かは、してる側がわざとばらすんだよ。細かなヒントをばらまいて、あやしげな態度で、見つけてもらうのを待っている。された側は疑う、苦しむ、証拠を見つける、のたうちまわる、ためらう、ついに問い詰める。こんなに盛り上がることがあるか。何年も一緒にいたら飽きる、どうしても飽きてしまう、僕らはそれが怖い、相手が飽きているのも自分が飽きているのも知っている、それがとても怖い。「浮気されて、それで盛り上がって、うれしかったんですか?」私は尋ねた。うれしかったよと彼はこたえた。許してくれって泣きつかれてうれしかった、思い出して苦しいのがうれしかった、だってそんな目まぐるしさって、最初のころみたいじゃないか。
 
それを聞いて私は胸焼するような変な感覚に襲われて、ひとことで言うと「もう勘弁してくれ」というような気分でいっぱいになって、そのまま彼とは別れて家に帰った。別れ際、後ろからごめんとかなんとか聞こえてたはずだけど、構ってあげる気分には到底なれなかったので聞こえないふりをした。私は最初、彼は私を暇つぶしのおもちゃにしようとしているのかと思って、それで腹が立って、こらしめてやりたい気持ちだったのだけれど、彼の話を聞いていると怒るとかこらしめるとか、そんな元気は全部気化して消えてしまった。間違っていると思った。体中にやたらめったらチューブを挿されて人工呼吸と点滴と透析で無理やり延命処置を施された瀕死の老人みたいな、そんなグロテスクな恋愛関係は正しくない。
 
私はきっと正しい世界を望んでいるのだと思う。こんな事を考えるのは、私が子供だからなんだろうか。何も考えたくない。亀の甲を撫でて暮らしたい。家に着くとすぐ部屋着に着替えた。亀は甲羅の中に手足を引っ込めて完全に遁世の体だった。裏切られたような気持のままベランダに冷やしてあるエナジードリンクを取りに行くと、藍色からオレンジにグラデーションする夕焼けの空に月がでていた。空に煙るそれは世界の代わりに醜くなるような無血の英雄のようだった。その英雄は最後の晩餐の食卓に降りかかり、繊細な料理をジャンクフードに変えていき、安っぽい私の味覚をうっとりさせてしまう。悲しくなるのは、それらを残らず吐き出すための時間さえまた満足にあるのだろうということだった。私は今や、耐え切りたいのだ。