100年の孤独

I only sleep with people I love, which is why I have insomnia

iPadを買ったよ

夏休みを利用して田舎の広島に帰った。
忙しさにかまけて年末年始も帰らなかった私の帰省を、家族の皆は歓迎してくれた。二日目には実家から車で1時間ほどのところに住んでいる姉夫婦が1歳になる娘の綾香ちゃんを連れて遊びに来てくれた。綾香ちゃんは人懐こくて、初対面の私にも人見知りせずあうあうとまとわりついてくる。移動中ぐっすり寝ていたからなのか、夜ご飯をすませた後も綾香ちゃんはまだまだ元気で眠るそぶりもなく、祖父母、父母、姉夫婦と姪、そして私の8人でそのまま居間で夜更かししていた。
実家は海沿いの古い家で、庭に面した窓からは離れが母屋の明かりに照らされて浮かんでいるんだけども、それ以外には姉夫婦の車が見えるだけ。海沿いなので網戸越に波うちの音が聞こえて、蒸し暑いけど田舎の心地よさに包まれていた。
皆でお茶を飲んで語らっていると、姉は先日届いたばかりのiPadを持ち出してきて「面白いもの見せてあげるわ!」とボタンを押した。 メモ帳画面でマイクのボタンを押すと、口述筆記みたいに話した言葉を文字にしてくれる機能。 姉はそれを綾香ちゃんの口元に寄せて、「何か話してごらん〜」とあやすと、綾香ちゃんは「あうあうあう〜」と言葉にならない言葉を話す。 すると画面に「合う会う、ううー良い愛ー」 みたいに、赤ちゃんの声を無理やり文字に起こしたものが表示され、姉は「赤ちゃんの言葉!」と笑う。祖父母も父母もうれしそうに「おおー!すごいなー!」と笑った。夜もふけていく中、皆でその遊びをしばらく続けていた。「あいあい〜たー、うう〜」という、言葉にならない赤ちゃん語を 「会い合い〜他、右ー」みたいに表示していくiPad。 祖父母は「最近の機械はえらいもんじゃのう!」とはしゃぎ、私たちも笑う。 綾香ちゃんは皆がうれしそうに笑うのと、田舎の家の薄暗さの中で光るIPadの画面に大喜びし、「うあうあいい〜!!わーわー!きゃあー!」と声を上げ続ける。 姉は綾香ちゃんを膝に乗せなおし、 「はい、おじいちゃんって言ってごらんー!」とiPadを向ける。 綾香ちゃんはその日一番長々と、「うあうあー!きゃきゃー!!あーい〜、きゃきゃ〜!」とiPadの画面を叩きながらはしゃいだ声を上げた。 すると画面に、

「大本さんがきよる」

と表示された。
姉が「えー、なんか文章になった!すごい〜!大本さんて誰かな〜??」と笑う。 すると祖父母が「えっ」と画面に顔を近づける。 「大本さんてこの機械に入れよるんかね?名前を入れよるんかね?」 祖父が不思議そうに画面を眺める。 姉は「えっ??」と祖父を見る。 祖母が「大本さんて隣の、おばあちゃんのお友達じゃった人じゃが。大本さんが来よる、いいよるね…」と同じく不思議そうに画面を見る。 すると母親が、「あの」と窓を指差す。「離れの方に…」全員が窓の外を見ると、庭の向こうの離れの前に、こけしのような髪型のすらっとした女性らしき人影が俯きがちに立っているように見えた。 祖父はすぐに「…大本さんじゃね」と呟く。祖母も「大本さんじゃあ。2月に亡くなりはったんじゃけどね、なしてじゃろうね…」と窓の外を見つめる。私たちは「え?え?」とよく分からずに窓の向こうを覗き込むように首を伸ばしていると、祖母が「いけんいけん。いけんよ。見るもんじゃなか」と立ち上がり、カーテンをスッと閉めた。
カーテンが閉まる直前、私はうつむいていた大本さんが顔を上げるのを見た。大本さんは品の良さそうな年配の女性で、私には、大本さんは愛おしそうに綾香ちゃんを見つめているように見えた。
静まり返る居間で、綾香ちゃんはお構いなしにあうあうとよだれを垂らし、iPadは「大本さんがきよる」「大本さんがきよる」「大本さんがきよる」と同じ文章を繰り返し表示し続けていた。私たちはカーテンの向こうに映った人影に、どうしていいのか分からず、ただただ固まるだけだった。