100年の孤独

I only sleep with people I love, which is why I have insomnia

書きかけ


豆腐屋さんに行く途中で西脇を踏んでしまった。

わたしの実家からお豆腐屋さんに行くには舗装された道を通ると15分かかるが、あぜ道を通ることで5分から7分程度にショートカットできる。
上京して芸能の仕事をしていたわたしは鳴かず飛ばずのまま3年余りを東京で過ごし、先月付けで事務所を解雇された。そして先月ついに飾る錦もないまま実家の福山に出戻ってきたというわけなのだが、人生で初めて挫折らしい挫折を味わったわたしに家族は優しく、ここ一月程はその優しさに甘えて次の仕事も探さないままぐずぐずと田舎で怠惰な生活を過ごしていた。昼過ぎまで惰眠を貪り、ただ飯を食らい、夜になると少しお父さんの晩酌の相手をする。ありていに言って愚図である。その愚図であるところのわたしが家族と言う共同体に対して行う唯一の奉仕活動が豆腐の買出しだ。

西脇を踏んでしまってから気づいたのだが、どうもこの西脇は動きが鈍い。季節のせいだろうか、普通の西脇なら人には踏まれまい。西脇は柔らかく踏んでも踏んでもきりがない感じだった。
「踏まれてしまってはおしまいですね」とそのうちに西脇は言い、それから足の間をスルスルと這い出して、一度頭をもたげたかと思うと、そのまま体を起こして二本足で立ち上がり、振り向いてもう一度言った。「踏まれてしまってはおしまいですね」この西脇は20代後半の美しい女に見えた。西脇はそのままあぜ道をすたすたと歩いて角を曲がり、そのうち見えなくなってしまった。

「おお、彩乃ちゃん。おつかいかい?偉いね」
豆腐屋さんにつくと斉藤のおじさんがシャッターを開けながらこちらに話しかけてきた。おじさんはいまだにわたしを子ども扱いしてくる。田舎の人間特有の馴れ馴れしさだが、斉藤のおじさんのそれは邪気がないというか、もうただの挨拶と同様。この状況で何かいう事にそのものに意味があるだけで発言の内容に意味があるわけではないことが分かるので、わたしは笑顔でそれに答える。おばさんは奥でコーヒーを飲んでいる。豆腐を受け取り代金を払うと、おばさんが奥からこういった「あんたちょっとクリーニングとってきてよ。そのついでに彩乃ちゃん家の近くまで送ってあげればいいじゃない」